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株式会社 こう書房
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まえがき
"You can dream, create, design and build
the most wonderful place in the world...
but it takes people to make
the dream a reality."
WALT DISNEY
「君たちはみんな、世界中でもっとも素晴らしい場所を夢見たり、
想像したり、デザインしたり、造ることができる。
しかし、その夢を現実のものとするのは人である」
ウォルト・ディズニー
■はじめに■
みなさん、こんにちは。生井俊です。どうぞよろしくお願いします。
この本を手にとってくださったということは、あなたはディズニーランドが大好きか、ディズニーランドの運営や人材育成などについて興味がある方だと思います。
ボクもディズニーランドが大好きです。そして、ボクにとってディズニーランドは、特別な場所でもあります。ボクはジェットコースターが大の苦手でしたが、アメリカ西部をイメージした岩山を高速で駆け抜けるビッグサンダー・マウンテンに乗り、楽しさと爽快感を味わい、苦手を克服しました。その感動体験がきっかけとなり、高校時代をディズニーランドでアルバイトをして過ごすことになりました。
今、ディズニーランドで働いた日々を振り返ってみると、とにかく「楽しかった」の一言に尽きます。同じ仕事のように思えても、同じ瞬間は2度とはないという、とても変化に富んだ毎日でした。
当時、最高のエンタテインメントを提供していたディズニーランドという場には、とても優秀な人材が集まってきましたし、その人たちがリードして、感動につながるサービスが提供できるよう、日々努力を重ねていました。
それまで、ものごとを自分中心で考えてきたボクは、そうした尊敬できる人たちとともに働くなかで、ゲスト(お客様)のために何かをすることを覚え、ゲストの笑顔と感謝とともに成長していくことができました。とにかく、パレードのゲストコントロールをするという仕事が楽しくて、楽しくて ――。
社会人として仕事をしているという適度な緊張感を保ちながら、パレードや花火、そして素敵なゲストとの出会いに感動する日々。しかも、お金までもらえるという。喜びというより、こんなに楽しい仕事なのに、お金までもらってしまって本当にいいの、という気すらしました。
しかしボクは、「夢と魔法の王国」を支える一方で、どこか現実の世界に嫌気がさしていました。学校、部活動、先輩後輩、先生……。そういった仕組みになじめないボク自身に気づき、その反動でより一層、この仕事にのめり込んでいったのです。
結果、夏休みは昼に起き、夜遅くまで働き、素敵な仲間たちとちょっとした時間を食堂で過ごし、夜中に家へ帰っていくという、中学生まででは考えられない生活サイクルに変わっていきました。さすがに、このままではまずい、現実の世界に戻ろうと思ったボクは、夏休みでディズニーランドでのアルバイトをスパッと辞め、9月の新学期を迎えました。
しかし、夢と魔法の王国の魅力を知ってしまったボクは、現実の世界に戻ることができませんでした。本当に心に穴が空き、自分自身が何をしたいのかもわかりません。不登校になり、そして、高校を辞めました。
高校を辞めてみて、気づいたことがあります。ひとつは、まわりの人は、高校に通うといった当たり前のことができなくなると、突然冷たくなるということ。そして、なによりボクは、ディズニーランドという場が好きだったということ。
その後、高校を再受験し、2度目の高校1年生が始まりました。そして、またディズニーランドにも復帰することができました。
ディズニーランドがなければ、ボクの2度目の高校生活も、短いものだったかもしれません。ディズニーランドは、今度は現実の生活に戻るための、心のリハビリをする場所として機能することになりました。どんなに辛いことがあっても、ディズニーランドがあるから頑張れると思うようになっていました。
そして、ディズニーランドが好き、パレードの仕事が好きという強い想いのなかで、サービスの質をより高めるために、ゲストにどう接したらより喜んでもらえるかを追求するようになりました。
ボクを支えてくれた先輩たちが、パレードの仕事からアトラクションのキャスト(スタッフ)になったり、ディズニーランドを去っていくなかで、今度はボクが後輩キャストを教える機会も増えていきました。教えるというよりは、ボク自身のディズニーランドやパレードに対する想いを伝えるといいましょうか。とにかく、自分たちがディズニーランド好きであれば、その気持ちはゲストにも伝わりますし、仕事も楽しくなっていきますから ――。
はたして、それがどれだけできていたのか。当時を知る、ボクを育ててくれた先輩たちは、「生井はまだまだ甘い」と笑うかもしれません。でも、ボクはボクなりに一生懸命サービスを提供し、非常に濃い時間を過ごしてきました。
高校2年生の秋。学校とディズニーランドのどちらかを選ばないといけなくなったとき、今度は学校を選びました。そして、ディズニーランドから去りました。
この選択は、はたして正しかったのか、いまなお、わかりません。「続けていたかった」という気持ちは持ち続けています。でも、あこがれは、あこがれのままで残しておくのがいいのかもしれません。
その後、社会人としてさまざまな経験を積むなかで、ディズニーランドで教えられたこと、身につけてきたことが、大変素晴らしいものであることに気づきました。そして、ちょっとしたことですが、それを知っているか知らないかで、行動や相手に与える印象に大きな差ができることがわかりました。
「ディズニーランドにはとても優れたマニュアルがあって」と、話にきいたり、ネットにも書き込みを見かけますが、ディズニーランドの本質は、マニュアルにはありません。ディズニーランドが優れた人材を排出する裏側には、マニュアルではなく「コンセプト教育」があると感じています。コンセプトというのがしっくりくる言葉かわかりませんが、ディズニースピリッツやディズニーフィロソフィーなどといわれるのが、それに相当するものではないかと考えています。
まずはしっかりとディズニーの考えやコンセプトを教育し、続いて現場での実務を通してその徹底を行なう。作業手順などは、ゲストからの苦情や要望、現場からの提案などを検討し、コンセプトに照らしあわせたうえで日々改善する。変更点や修正点は毎日のミーティングを通して現場に徹底させていく ――。このあたりにディズニーランドの強さがあるのではないかと思います。
この本では、ディズニーランドがスタッフに教えていた大切なことを、ボクがアルバイトで経験した出来事を振り返りながら、詳しく見ていきたいと思います。
それでは、ディズニーランドの「コンセプト教育」を、どうぞごゆっくりお楽しみください。あなたの心に響くフレーズがひとつでもあれば嬉しいです。
2006年8月 生井 俊
目次
はじめに
おことわり(この本をお読みになる前に)
第1章 常に笑顔で意識の高いキャストが育つ理由
なぜ従業員のことを“キャスト”と呼ぶのか
ディズニーへの情熱や想いに支えられている
自分のロールをきちんと把握・理解する
真似るだけでは結果が伴わない
ゲスト一人ひとりの一瞬一瞬を大切に考えて“ショー”を演じる
小さなゲストからポップコーンを渡されて
たったひとつの行動が“思い出”を台無しにしてしまう
“プロ意識”を持った先輩たちの行動が新人を育てる
必要なのは“マニュアル”よりも“プロ意識”
言葉で教えるだけでなく、実際に確認させる
一人ひとりのゲストにきちんと向き合う
実際の“行動”が身体に“プロ意識”を染みこませる
ゲストに「わかりません」といってはいけない
ゲストとより長くコミュニケーションをとるために
最後まで「窓口」となることで仕事の知識や幅が広がる
仕事に対する責任感が生まれる
「危険」という言葉を使ってはいけない
自由度の高いジャングルクルーズのスピール
ゲストに「不安」を感じさせないために
ネガティブ・ワードを制限することで
なぜディズニーランドのキャストは高いモチベーションを維持できるのか
疲れたり落ち込んだりしたときは
笑顔のエネルギーの循環で頑張れる
第2章 ディズニー流「ゲストの愛し方」はコミュニケーションが決め手
「あいさつ」ひとつでコミュニケーションが変わる
ゲストとの「コミュニケーション」を実現する工夫とは
決まり文句での対応なら機械でもできる
おたがい「楽しい気分」になるために
ゲストの目線に合わせるとは
迷子対応のロールプレイで
意味は同じでも“とるべき行動”はゲストごとに異なる
ゲストはどこを見ているかを常に意識する
地面にこぼれたジュースを足で拭く
自分視点ではなくゲスト視点で
「夢と魔法の王国」にもルールはある
より質の高い「ショー」を提供するために
爆笑を呼んだ先輩のスピールだが……
良いと思って真似したのに
ゲストに「楽しい夢と魔法」を見せることがキャストの仕事
ディズニーランドで学んだ「笑顔」のつくり方
どうすれば「笑顔」になれるのだろう
写真を撮るときは「ハイ、ミッキー」!?
なくてはならない、大切なもの
《うっかりミスで「楽しい思い出」までなくしてしまわないように》
第3章 「夢と魔法の王国」はマニュアルではつくれない
ディズニーランドには接客マニュアルがない!?
あるのは基本要素が書かれた冊子だけ
「マニュアル」では時々刻々と変化する状況に対応できない
すべてはOJTで覚えていく
マニュアルがないことの強み
作業内容は日々見直されていく
改善点は毎日のミーティングで徹底される
1年のブランクで「新人同様」になってしまう
ゲストからのコンプレインがサービスの質を高めていく
すべてのゲストをVIPとして扱う
移動のお願いが遅れたために
コンプレインを共有する
徹底した掃除が多くのゲストの楽しみへとつながる
1つのゴミが多くのゴミを呼び寄せる
掃除もディズニーの「夢と魔法」の一部にする
“キャスト”としての意識がパフォーマンスを生み出す
カストーディアルへの信頼があるから
優先順位という重み付け
ディズニースピリットを支える「理念」と「行動指針」
明確な優先順位の存在が的確な判断へとつながる
99・99%でも安全不足
いろいろな場面で“チームワーク”が要求される
ゲストに対し「わからない」とはいえないので
一時的な配置変更での対応
ディズニーランドの「コンセプト教育」とは
コンセプトをしっかり共有し、当たり前のことを積極的に
あとがき ――「パークは未完成」のなかで見たこと
―――――― おことわり(この本をお読みになる前に)――――――
●文中に登場する名称や仕事内容などについて
この本を執筆するにあたり、ボクがディズニーランドで働いていた当時の日記やメモなどを参考に、ボクが受けた教育や仕事内容について、できるかぎり忠実に再現するようにしました。ですから、アトラクションやショーの名称を含め、文中に出てくる内容は当時のもので、現在のものとは内容が異なる部分があります。
たとえば文中に、エレクトリカルパレードでスワン(白鳥)が登場するくだりがありますが、現在はスワンが登場する順番が変更されています。5分前スピールの内容やタイミングも、ボクがアルバイトをしていた当時と違いがあるようです。
また、教育方針や内容、キャスト(従業員)の育成制度なども、最新のものではありませんので、あらかじめご承知おきください。
●パレードゲストコントロールのキャストについて
文中に、役職名のあるキャストが登場します。一般に知られていない役職だと思いますので、本文に入る前にいくつか紹介させていただきます。
新人キャストのトレーニングを担当するのが「トレーナー」、各地区ごとの班長のような役割を担うのが「サブリード」、パレードゲストコントロールの全体を指揮するのが「リード」、そしてその上の責任者が「スーパーバイザー」です。そのほかに、ゲストから見える場所(オンステージ)には登場しませんが、キャストたちのテストや遊びの予定などを聞き、勤務シフトを決めてくれる「スケジューラー」がいます。
この役職についても当時のもので、現在とはいくらか異なっているようです。
また、新人キャストのOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)は、当時は4日間あり、初日は運営部のオフィスでの座学、2日目〜4日目はオンステージでの実地訓練でした。文中で「オンステージデビュー初日」とあるのは、トレーニング期間でいう2日目を意味しています。
[第1章 常に笑顔で意識の高いキャストが育つ理由]より
なぜ従業員のことを“キャスト”と呼ぶのか
●ディズニーへの情熱や想いに支えられている
ディズニーランドには、ユニークな言葉があります。
代表的なものをいくつか挙げますと、ディズニーランドで働く従業員を“キャスト”、お客様を“ゲスト”といい、ゲストが楽しむ場を“オンステージ”、倉庫やオフィスなどがある場所を“バックステージ”と呼びます。
キャストは、日常生活でどんなに辛いことがあっても、心がささくれだっていたとしても、オンステージに立ったら、ディズニーランドをつくりあげる“キャスト”としてのロール(役割)をこなさないといけません。そして、その役割を演じるときには、安全、礼儀正しさ、ショー、効率性を大切にしています。
オンステージという舞台装置の上でゲストに充分に楽しんでもらえるようにするためには、キャストだけでなく、アトラクションを含め、あらゆるものが安全でなくてはなりません。それが前提条件となり、礼儀正しく対応ができるか、素晴らしいショーを提供できるか、というように積み重ねられていくのです。
なお、ここでいう「ショー」とは、ディズニーランド内のステージ(特定の舞台)で行なわれるものだけでなく、オンステージで行なわれるすべてのことをさします。つまり、アトラクションやパレード、キャスト一人ひとりの立ち居振る舞いまでをも含みます。
ディズニーランドという舞台装置は、とても大がかりで、そこには1万人を超える人たちが働いています。キャストを演じることでいただけるお金は、コンビニエンスストアのアルバイトとくらべたら多いかもしれませんが、ほかとくらべると、そう時給が高いわけではありません。
でも、ミッキーが好き、ディズニー映画が好き、ディズニーランドを愛してやまないなど、キャストにはそれぞれの情熱や想いがあります。それがあるから、片道2時間以上かけて千葉の舞浜という場所までやってきて、キャストを演じている人も少なくありません。
ディズニーの従業員が優れているといわれるのは、教育制度によるところもありますが、それとは別に、一人ひとりのキャストが持つ情熱や強い想いが関係しているように思います。
●自分のロールをきちんと把握・理解する
現在、ディズニーランドに来場するゲストの9割以上がリピーターだといわれています。この本を読まれている方のなかにも、何度もディズニーランドへ行っているという方がいらっしゃることでしょう。そしてなかには、キャストの対応が悪くてムッとされた経験をお持ちの方も、いらっしゃるかもしれません。
ほとんどのキャストが素晴らしい対応、そつのない対応をしたとしても、たった一人のキャストがひどい対応をとっただけで、ディズニーランドにかけられた魔法が一瞬にして消え去ることがあります。そうならないためにも、キャストはそれぞれのロールをしっかりと演じ、バックステージに戻るまで、継ぎ目のないショーを見せることが欠かせません。また、帰りの電車やバスでキャストとゲストが一緒になることもありますから、コスチュームを脱いだあともグチをいうのは厳禁です。
継ぎ目のないショーを見せるためには、キャストとして上司や先輩から教わった動作をただそのままに行なうだけでなく、相手や状況などに応じて最適の対応をします。つまり、キャストとしての自分のロールをきちんと把握・理解して行動することが大切になります。ですから、ディズニーランドでは従業員とはいわず、“キャスト”(配役、出演者)と呼ぶのです。
ボクがやっていたエレクトリカルパレードのゲストコントロールという部署は、パレードルートの設営のほか、パレード中にゲストがパレードの前を横切らないように監視するなど、パレードの安全な運行をサポートするのが仕事です。
パレードが来ない時間帯は、できるだけ多くのゲストがパレードを見られるよう、前から順番に座ってもらうという仕事もあります。そのときに、ゲストも座っているし、パレードルートの安全性も確保されているようであれば、できるだけ多くのゲストに声をかけ、ディズニーランドにいる時間をより楽しんで過ごしてもらえるようにしています。
この「知らない人と話をする」というのは、とても勇気のいることです。最初は恥ずかしさもあり、なかなか声がかけられませんし、「こんばんは」とあいさつをしたあと、どんな話を切り出せば喜んでくれるのかもわかりません。
そんなときに頼りになるのが先輩キャストです。そこで、まわりの先輩を見渡すと、
「こんばんは〜。今日はどちらからいらっしゃいましたか?」
「どんなアトラクションに乗りましたか?」
などと話しかけています。
なるほど、ボクの仕事はパレードのゲストコントロールという数時間だけですが、多くのゲストは今日一日を、ディズニーランドで遊び通しているわけです。なので、今日ここで、どんなことをしたかをたずねてみるのは、なかなかいい考えに思えます。
ところが、いざ自分が先輩と同じことをしても、うまくできないのです。
●真似るだけでは結果が伴わない
ボクがキャストになりたての頃、ゲストに「こんばんは〜」と話しかけると、いきなり話しかけられたゲストはビックリしていました。それはそうですよね。道端で知らない人に声をかけられたら、たいていの人は身構えます。それに、ボクの笑顔も硬かったと思いますから、こちらの「よし、話しかけるぞ」という緊張もゲストに伝わっていたことでしょう。
でも、あいさつをしたからにはと思い、話を続けます。
「どこから来たのですか?」
「千葉です」
「……」
そう、ディズニーランドがあるのは千葉県です。つまり、このゲストは地元の人だったのです。
これが「北海道です」「沖縄です」などであれば「遠いですね」とか「北海道より暖かいですか」とか、少しは気の利いたことが返せたかもしれません。でも千葉……。ここでボクの連想はストップしてしまい、言葉に詰まってしまいました。
それでも話をつながなくてはと思い、先輩の真似をして、
「今日は、どのアトラクションに乗りましたか?」
と聞いてみると、今度は、
「夕方から入ったから、まだ何も乗ってない」
といわれてしまいました。先輩のマネマネ作戦は失敗、完敗です……。
「では、パレードを楽しんでいってくださいね」
というつきなみの言葉を辛うじて返し、ボクはゲストのもとを去りました。話しかけられた相手からすれば、「今のは何だ?」と思ったことでしょうね。
ここでわかったのは、先輩の行動を見て、真似てやってみることは大事だけど、同じように行動しても、結果がいつも同じとはかぎらない ―― ということ。
そしてボクは、「物事の本質は何か」を考え始めました。このときにやっと、ディズニーランドで大切な本質とは、ゲストを楽しませることなんだと思い始めるようになったのです。だからこそ、ボクらは“キャスト”というのだとわかりました。
ゲストにどこから来たのかを聞いてこちらがビックリするのではなく、ゲストにディズニーランドでの行動を振り返ってもらい、できれば楽しい思い出として定着させる。これがボクらの仕事です。それには、「どこから来たの」「アトラクションは何に乗りましたか」という問いかけだけでなく、そこから話を広げていく技術が必要だと気づいたのです。
[第2章 ディズニー流「ゲストの愛し方」はコミュニケーションが決め手]より
「あいさつ」ひとつでコミュニケーションが変わる
●ゲストとの「コミュニケーション」を実現する工夫とは
ディズニーランドで働いていて気持ちがいいと感じたのは、相手がゲストでも、キャストでも、あいさつをするとあいさつが返ってくることです。
これは、ごく当たり前のことのようですが、よくよく考えてみると、社会人でも、名刺交換時のあいさつはできても、普段のあいさつが上手にできる人は、意外と少ない気がします。
ディズニーランドでは、時間帯により「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」とあいさつしています。オンステージでは、すべてのキャストがこのあいさつをしますから、ディズニーランドに入園するときや、パーク内のお店に入るときなど、普通なら「いらっしゃいませ」といいそうな場面でも、キャストから「いらっしゃいませ」と声をかけられたことがないと思います。よく考えると、意外な感じがしませんか?
ディズニーランドの新人研修では、ウォルト・ディズニーについてや、ディズニーランドでの行動規範、危険予知のためのトレーニングなど、働くときの「コンセプト」になる部分を習います。実務的なことは、OJTを通して身につけていくことになります。
ですから、事前にあいさつのトレーニングを徹底しているわけではありません。ディズニーランド以外の場所で働いた経験があると特に、「こんにちは」ではなく、最初のうちは「いらっしゃいませ」とあいさつをする人もいます。でも、これはディズニー的にはバッドショー(失敗)なのです。これで怒られるということはありませんが、すぐに先輩キャストから呼ばれ、「いらっしゃいませ」を「こんにちは」に改めるよう指導されるのです。
そのときにいわれるのは、
「コミュニケーションを重視しましょう」
という、ディズニーランドが大切にするものすごく基本的なことです。
もし「いらっしゃいませ」とゲストを迎えてしまうと、ゲストは返す言葉がなくなってしまいます。
ちょっと思い出してみてください。どこかの店に入って「いらっしゃいませ」といわれたときに、何か返事を返したことがあるでしょうか? おそらく、ほとんどの人は無言で軽く会釈をするくらいしかしないし、できないと思います。
しかしこれが、「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」であれば、ゲストもあいさつを返すことができます。「こんにちは」と声をかけられたら「こんにちは」と返せますし、「こんばんは」にも「こんばんは」と返せます。ここに不自然さはありません。
つまり、「いらっしゃいませ」は一方的な呼びかけであるのに対し、「こんにちは」などの言葉は双方向から発することができる便利な言葉なのです。そこからコミュニケーションが広がっていくと考えています。
ほかの理由としては、「いらっしゃいませ」という言葉には「ここからがお店で、ものを売っています」という微妙なニュアンスもあり、ゲストが身構えてしまうことがあります。それをできるだけ取りのぞき、ゲストがどこを訪ねてもワクワクした感じを持てるようにと、楽しい雰囲気づくりを大切にしているのがわかります。
このように、「こんにちは」というあいさつが、ディズニーランドという空間を支え、ゆったりとして過ごすきっかけづくりに役立っています。
●決まり文句での対応なら機械でもできる
ゲストとは、親しみやすくリラックスしたコミュニケーションを ――。これが、ディズニーランドが追求するコンセプトです。
でも、すべてのキャストが、すぐにこれを身につけられるわけではありません。キャストの側にその気がなくても、ゲストから見ればフレンドリーといえないような、硬いコミュニケーションをするなど、ミスをすることもあります。
ディズニーランドでは、キャストのミスや望ましくない対応(バッドショー)に対して「適切なタイミング」でしっかりと話し合う姿勢があります。個々の対応とミーティングでの周知で、ディズニーランドのコンセプトを徹底させていくのです。
ボクは、最初から上手にあいさつができたわけではありません。むしろ、あいさつを苦手にしていたため、それを克服するには時間が必要でした。
特にOJT初日はボロボロでした。しかし、そんなボクでも、トレーナーのKさんのような優秀なキャストと接するなかで、多くのことを学んでいくことができました。
もう一度ここでOJT初日を振り返ると、エレクトリカルパレードが通るルートにある、横断用通路へロープを張る仕事から始まりました。
そして、パレードルートの横断用通路を確保しながらゲストへ、
「みなさん、こんばんは。
このあと7時30分から、光と音のパレード、エレクトリカルパレードがスタートします」
と、ひたすら案内を繰り返していました。
でも、ボクの滑舌が悪いからなのか、
「パレードは何時からですか」
「どこで見るといいですか」
そう質問をしてくるゲストがたくさんいます。同時に、何組かのゲストから同じように聞かれるので、「早く答えなくては」とあせってしまったボクは、
「パレードは何時からですか」には、
「エレクトリカルパレードは、このあと7時30分からです」と、
「どこで見るといいですか」には、
「この先のロープの張ってある場所でお待ちください」と、
決まり文句でしか返せなかったのです。
決まり文句で返せたのなら充分ではないかと思うかもしれません。たしかに、聞かれたことに対して決まり文句で返せたのなら、必要な情報は伝わっていることでしょう。でも、それなら機械でもできることです。
ディズニーランドのキャストであるということは、血の通った、印象に残る対応をしなくてはいけません。そのなかで、ゲストとスムーズにコミュニケーションをとるために最低限必要なことは何かというと ――。
そう、笑顔とともに、あいさつが大切なのです。
●おたがい「楽しい気分」になるために
研修でも「まず、ゲストへのあいさつから」と、その重要性が教えられます。また、先輩たちがきちんとあいさつをして、ゲストとの会話を楽しんでいる様子を見ると、これを身につけないと先には進めないことが、新人のボクにもわかります。
トレーナーのKさんの対応をじっくり見ると、あいさつにもいくつかポイントがあるようです。
ゲストから「すみません」と声をかけられたときKさんは、
「はい、こんばんは〜」
と笑顔で返しているのです。そのうえ、「ええ、私にどんどん質問してください」といった雰囲気があります。
一方、ボクはといえば、「すみません」といわれた瞬間に「何を聞かれるのだろう」と身構えてしまいます。ここに差があるようです。それを打破するためにボクは、「まず、あいさつ、あいさつ」と頭の中で連呼してみました。何を聞かれても、どんなふうに声をかけられても、まずはあいさつをと、強く意識してみました。
さっそく、ゲストからパレードの時間を聞かれました。しかし、とっさにボクの口から出てきたのは、
「パレードの時間はですね。
えーと、こんばんは〜。
パレードは、7時30分からですね」
というセリフでした。あいさつをせず、いきなり本題に入ってしまういつものクセは、なかなか抜けません。話し出してから、あわててあいさつを入れたものですから、そんな対応を受けた相手はキョトンとしています。
それでも「ああ、7時半ね、ありがとう」といってくれたゲストに対し、今度は、
「ごゆっくりお楽しみください」
という一言が返せなかったのです。そのままゲストは立ち去ってしまいました。印象の良いあいさつと笑顔のあるコミュニケーション、失敗。悔しい。
コミュニケーション、言葉のキャッチボールなどと簡単にいいますが、初対面の人が相手だと、なかなか難しいものです。それでも、失敗しながら、何度か質問に答えていくと、次第にあいさつのタイミングとコツがわかってきます。
1〜2週間すると、相手からどう声をかけられたとしても、すぐ、
「はい、こんばんは〜」
と反応できるようになりました。
上手にあいさつするためには、あいさつを意識して行なうこと。そして、あいさつが必要な状況を数多く経験することが大切です。
なかには、しゃべりが得意ではない、人と目を見て話すのが苦手、という人もいるかもしれません。しかし、あいさつができるようになりたいという強い信念を持ち、相手がリラックスした気分になってほしいという気持ちがあれば、自然なあいさつとコミュニケーションができるようになります。それがスムーズにできると、おたがいに「楽しい」気分になれるのです。
それが、ゲストとキャストとをつなぐコミュニケーションの秘密なのです。
[第3章 「夢と魔法の王国」はマニュアルではつくれない]より
ディズニーランドには接客マニュアルがない!?
●あるのは基本要素が書かれた冊子だけ
ディズニーランドには、ゲストにどう対応するかが細かく書かれたマニュアルがあると思われています。キャストはみんなニコニコあいさつし、同じような受け答えをしているように見えます。きっと「こういうときは、こうしなさい」ということがきっちりと書かれたマニュアルがあって、みんなそのとおりに動いているのだろうと、最初はボクも思っていました。
しかし、実際にディズニーランドの一員として働き始めると、マニュアルがあるといういい方は、少し違うのではないかと感じるようになりました。たしかに、研修のときに新人キャストは冊子を受け取ります。しかし、それをマニュアルと呼ぶべきなのかはわかりません。その冊子には、接客に必要な基本要素(マナー)が書かれているだけだからです。さまざまな状況を想定して、「こう質問されたら、こう答えましょう」といったことが逐一書かれているわけではありません。
ボクが実際に目にした「マニュアルらしきもの」は、礼儀に関することが書かれた、その冊子だけなのです。コンビニエンスストアやファミリーレストランにあるような、レジや携帯端末の操作方法や接客の順序、注文の取り方についてといった、細かなレベルまで落とし込んだ仕事のマニュアルを、ボクはディズニーランドで見たことがありません。
では、新人キャストは仕事をどうやって覚えていくのでしょうか。
キャストが目にすることができるマニュアルはないわけですから、すべての仕事はOJT、つまり、実際の仕事をしながら覚えていくことになるのです。
●「マニュアル」では時々刻々と変化する状況に対応できない
ディズニーランドに細かなマニュアルがないのは、パーク内の状況が時々刻々と変化し、進化してきていることが背景にあります。そのため、仕事の進め方やゲストへの対応も、臨機応変にすべき点が多くなります。
たとえば、夜のパレードと花火が予定されている日について考えてみましょう。
その日が晴天で、風も穏やかであれば、パレードも花火も実施されます。しかし、空は晴れているけれど、風が強い日は、パレードは実施しても、花火が中止されることがあります。また、雨が強く降っている日はパレードも花火も中止ですが、パレードの中止が決まったあと、花火の前までに雨が弱まってくると、花火は通常どおりに打ち上げることがあります。
このように状況が変化するなかで、一概に「今日は雨が降っているからパレードも花火も中止」というように、ボクたちキャストのレベルでは判断できません。キャストレベルの「マニュアル」として「雨が降ったら中止」というようにはできないのです。状況を見て判断・決定する責任者が別にいて、その判断・決定が必ずリードやサブリードといったキャストから伝達されます。オンステージでは、みんながその情報を共有し、その情報にもとづいて、そのときの状況に沿った的確な行動をしていくわけです。
その意味では、マニュアルがというよりも、指示伝達の仕組みや方法が、非常によく整備されているといえます。
また、天候に左右されるイベントにはマニュアルがないかもしれないけれど、長期間にわたって開催されるパレードや花火のゲストコントロールの仕事は、手順などがそう大きく変わらないだろうから、マニュアル化されているのではないかと思われるかもしれません。
しかしディズニーランドでは、仕事のしかたそのものが、その時々によって変わっていきます。安全を最優先に、ゲストに楽しんでもらいながら効率を上げていくよう、日々、仕事の改善が行なわれているため、休暇等で数日間勤務しないあいだに仕事のしかたがガラッと変わっていることも、幾度となくありました。現在でも、その状況はかわらないことでしょう。
●すべてはOJTで覚えていく
読んで覚えるマニュアルがないため、OJTで学ぶべきことは膨大になります。
たとえば、ひとくちにパレードの仕事といっても、パレードルートに埋めてあるプラグを抜いたり、そこへスタンションという棒を立てたり、ロープを張ったり、夜の場合はロープにサイリウムという光る物体を取り付けたり、ゲストに座ってもらったり、横断用通路を確保したり、パレードのインフォメーションを伝えたり、車いすのゲストに専用スペースを案内したり、パレード中にゲストがルートを横切らないように警備したり、パレード終了後にゲストを的確に誘導したり ―― と、さまざまです。また、その日の勤務エリアにより、同じ“ゲストコントロール”の仕事でも、その内容は微妙に異なっていたりします。
一般企業のOJTといえば、たとえば営業職の場合、先輩のあとについてお客様先を数日間まわり、その後はひとりで営業をする、といったことがほとんどです。ノウハウの移転というよりは、先輩のお客様先を引き継ぐ儀式のようなもので、その後は引き継いだ人の能力やパーソナリティ次第ということが多いようです。
一方、ディズニーランドのOJTは、誰かの仕事を引き継ぐというよりは、少しずつ先輩キャストにノウハウを教わり、徐々に仕事の範囲を広げていくといったかたちです。
ボクがいたウエスタン/アドベンチャーエリアは、5ブロックに分けられていましたし、それに加えてライン、ハンデキャップトというポジションもありました。
大まかに分けて7つのエリアで展開される仕事内容を、わずか3日間のトレーニング期間でカバーすることは実質上不可能です。カバーしきれなかったところは、トレーニング期間終了後の比較的早い段階ですべてのエリアをローテーションするようにシフトが組まれ、徐々に覚えていくことになります。そこは、ボクらの勤務を決めるスケジューラーの腕の見せ所ともいえます。
──続きは書籍でお読みください──
生井 俊(いくい・しゅん)
1975年生まれ、東京都出身。高校時代にディズニーランドでアルバイトしたことで、サービス改善と教育制度に興味を抱く。早稲田大学第一文学部卒業後、お客様満足度でトップレベルにある株式会社リコーに就職し、より深くサービスの質を追求するようになる。その後、都立高校の育休代替教諭として教育現場に携わり、現在、ライターとして人材育成とITをテーマに、執筆・講演活動等を行なっている。