医薬品業界
知りたいことがスグわかる!!


表紙    背表紙

大滝俊一・著 定価1470円(本体1400円+税5%) 2005年8月10日初版発行



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まえがき もくじ 本文より




まえがき



  ■ は じ め に ■

 明治の文豪・夏目漱石は43歳の夏、伊豆半島・修善寺で大吐血し、生死の境をさまよいました。いわゆる「修善寺の大患」と呼ばれている事件で、この経験が漱石にとって芸術上の一転機になったともいわれます。漱石はこの後6年ほど生きながらえましたが、結局、修善寺で倒れたのと同じ病気により、49歳で亡くなりました。

 彼の晩年をこれほどまでに苦しめた病気とは、いったいなんだったのかというと、それは「胃潰瘍」でした。特効薬もなく有効な手術法も確立していなかった明治期には、胃潰瘍は胃ガンとたいして変わりのない不治の病であったに違いありません。

 ところが、いまや胃潰瘍は手術どころか、H2ブロッカーやPPI剤と呼ばれるクスリで簡単に症状を抑えることができます。さらに、1984年に胃潰瘍の原因がヘリコバクター・ピロリ菌と特定されたことから、最近ではPPI剤と抗生物質2剤を2週間併用して飲み続ける除菌療法により、ほぼ完治できるようになりました。漱石が平成の文豪だったら、胃潰瘍は彼の文学にも寿命にも、おそらくほとんどなんの影響も与えなかったに違いありません。

 このエピソードはクスリ、すなわち医薬品の役割の大きさを示しています。人類は医薬品の力で胃潰瘍をほぼ克服しました。しかし世の中にはガンやエイズなど、医薬品では完治困難な不治の病が多々あります。そこまで致命的な病気でなくても、たとえば同じ消化器系でも、胃や十二指腸にできた潰瘍はほぼ投薬で治せますが、小腸や大腸の潰瘍を治せる医薬品はなく、明治期の胃潰瘍と同じ状況が続いています。

 人類が病気に悩み続けるかぎり、医薬品メーカーの最大の使命は、まさに「新薬」を次々に開発することにあります。いままでなかった画期的な新薬を開発した医薬品メーカーは、たった1品目で年間数千億円を売り上げ、莫大な利益を上げることも可能です。反面、命を救うはずのクスリでも使い方を誤れば、かつてのサリドマイド禍や近年の薬害エイズのように甚大な健康被害を引き起こし、その原因をつくったメーカー自体が社会的糾弾を受けたり被害補償を余儀なくされ、経営を傾かせ、破綻してしまう例さえあります。医薬品はある意味で非常に“儲かる”ビジネスですが、それだけに、他のいかなる産業にもまして社会的な責務や意義も大きい産業なのです。

 1990年代後半以降、その医薬品業界にも技術革新の荒波が押し寄せています。その象徴が、2000年6月にほぼ終了した「ヒトゲノム計画」です。ヒトゲノム計画とは人間の全遺伝情報(ヒトゲノム)を解読しようという10年がかりの国際プロジェクトで、その成果を使えば、いままでのやり方ではなかなか見つからなかったガンやエイズ、アルツハイマー型痴呆症などの治療薬を、原因(遺伝情報)までさかのぼって理論的に設計できる可能性が出てきます。一方で、こうした技術革新は医薬品メーカー間の新薬開発競争をますます激化させる可能性も濃厚です。欧米で医薬品年商1兆円規模の巨大合併企業が次々に誕生し、日本でも大手同士の再編が加速し始めた背景には、経営規模を拡大すれば、いままでより新薬の研究開発に使えるお金も大きくなり、技術革新のスピードについていけるという強い動機があります。

 本書では、業界の基礎知識にそういった最近のトピックスも多く交え、業界関係者の方々のみならず、予備知識のない学生や新入社員の方々にも理解していただけるようまとめてみました。なお、本書は2001年9月に発行され、5版を重ねるロングセラーとなった旧版『医薬品業界 知りたいことがスグわかる!!』の実質的な改訂版です。基本的な骨格は旧版を踏襲しましたが、旧版の読者の方々にも十分役に立つよう、収録データや最近の事実関係などについては全面的に更新しています。

2005年7月                         大滝俊一




まえがき もくじ 本文より




目次




はじめに


第1章 日本にもついに波及したM&A旋風
安定業種から優勝劣敗業種に一変した医薬品業界
 ●IT業界よりも熾烈、世界的な大再編相次ぐ医薬品業界
 ●日本でも大手メーカーを巻き込んだ大再編が本格化
 ●IT革命に匹敵するゲノム革命が業界再編を促す

欧米医薬品業界でメガ再編が進行中
 ●長い社名が欧米市場での熾烈な再編劇を物語る
 ●テンビリオンの売上で研究開発費を捻出する

ここまで出遅れた日本の医薬品業界
 ●国内最大手の武田でも世界ランキングでは13位
 ●医薬品業界でも“護送船団”で国際競争力が低下した
 ●国際競争を避け「ゾロ新」に走った国内市場
 ●薬価引き下げ、外資系台頭で国内市場も競争が激化

超大手から零細企業まで混在する日本の医薬品業界
 ●欧米を上回る1300社あまりの医薬品会社がひしめく
 ●「大手9社・10社」の地位は激変も
 ●専業大手を横目に積極経営を見せる兼業メーカー


第2章 国内・外資系が7兆円市場を奪い合う
これが製薬産業の市場規模だ
 ●クスリのいろいろ ―― 医療用、一般用、部外品から健康食品まで
 ●先発品(新薬)と後発品(ゾロ)
 ●新薬の実力を示すピカ新、ナミ新、ゾロ新

研究開発は製薬会社の生命線
 ●新薬を1品目開発するには10年の歳月と数百億円の費用がかかる
 ●他産業を大きく上回る研究開発費率
 ●ゲノム創薬の本格化で基礎研究がますます重要に
 ●それでも研究開発費は欧米にくらべてケタ違いに少ない
 ●海外で成功した画期的な大型新薬が続々と流入する
 ●規制緩和による「混合診療」解禁も海外からの輸入を加速へ

兼業・外資中心に動き始めた国内M&A
 ●日本の医薬品市場は敷居が高かった
 ●M&Aという手法に気づいたJTと三菱化学
 ●国内メーカーのM&Aに乗り出した外資

MRや医薬品卸などの販売・流通革命も進行
 ●医薬品流通最前線はMRとMSが支えている
 ●MRを採用しまくる外資、レンタルMRも登場
 ●武田、三共が強いのは「系列卸」のおかげ


第3章 大手から中堅まで、医薬専業メーカーの実力
大手各社の実力徹底分析
 ●武田薬品工業 ―― アメリカでの成功で首位盤石、ゲノム創薬も先行
 ●アステラス製薬 ―― 山之内と藤沢薬品の合併で一躍国内2位に
 ●第一三共 ―― 三共と第一製薬の合併で武田、アステラスを追撃
 ●エーザイ ―― 国際戦略製品2品目の成功で海外売上高が急伸
 ●塩野義製薬 ―― 抗生物質に強み、医薬品卸子会社を切り離す
 ●田辺製薬 ―― 大手で最古の歴史、大正との統合破談で戦略見直し急務

生き残りを模索する準大手・中堅各社
 ●開発力と販売力で底力を見せる「大手」各社
 ●大手に食い込みをはかる大塚、万有、大日本、小野
 ●中堅・中小メーカーは得意分野への特化をはかる
 ●ニッチ市場や診療科目の特化で生き残りを狙う

大衆薬大手はセルフメディケーションをキーワードに攻勢をかける
 ●大正製薬 ―― 大衆薬トップ、医療用にも本腰、富山化学に資本参加
 ●エスエス製薬 ―― 大衆薬専業では国内2位、独社の子会社に
 ●ロート、興和、佐藤 ―― 独自路線貫く大衆薬中堅


第4章 おいしい市場を逃すな! 外資や兼業が続々参戦
親会社同士の合併と国内メーカー買収で外資が急成長
 ●日本の医薬品市場で3割のシェアを占める欧米メーカー
 ●外資系の成長が加速している4つのパターン

外資系大手の実力徹底分析
 ●ファイザー ―― バイアグラで一躍有名、新薬攻勢とM&Aで成長加速
 ●中外製薬 ―― スイスのロシュの傘下入り、ロシュ日本法人と合併
 ●ノバルティスファーマ ―― スイス系が合併、大衆薬への再挑戦が課題
 ●サノフィ・アベンティス ―― 敵対的買収の成功で日本法人も統合へ
 ●グラクソ・スミスクライン ―― 相次ぐ合併で新薬ラインナップが充実
 ●日本ベーリンガーインゲルハイム ―― エスエスのTOBで一躍脚光
 ●アストラゼネカ ―― 肺ガン治療薬が副作用問題に揺れるが成長力維持

本業の体力を活かして参入する兼業メーカー
 ●医薬品事業に参入した欧米化学大手のその後
 ●三菱化学 ―― 国内医薬再編の台風の目に
 ●住友化学、三井化学 ―― 医薬品事業で明暗分かれる
 ●協和発酵、明治製菓 ―― すでに自力で大手・準大手に迫る
 ●キリンビール ―― 草創期の米アムジェンを“発掘”、バイオ医薬の先駆け
 ●タカラバイオ ―― 宝酒造からスピンオフ、上場も果たす


第5章 ヒトゲノム解読で市場は激変する
ヒトゲノム解読で変わる新薬開発
 ●ヒトゲノム解読が画期的新薬の開発を加速する
 ●ITの発達でヒトゲノム解読が大幅に加速した
 ●セレーラの参入でゲノムベンチャーへの注目が高まる
 ●データ販売、ツール販売で終わらないゲノムビジネス
 ●ゲノム創薬は最終ゴール、テーラーメード医療が先行
 ●バイオインフォマティクスでIT企業も医薬業界に参入!?

ゲノムビジネスを担う日米の有力企業
 ●アメリカのゲノムビジネスはベンチャー企業が主導する
 ●ベンチャー市場が未熟な日本では異業種大手が主導権を握る
 ●株式上場会社も出始めた日の丸ベンチャー


第6章 一足先にメガ再編に突入した医薬品流通業界
医薬品流通のしくみはこうなっている
 ●モノだけでなく情報を売るのが医薬品流通の仕事
 ●医療用医薬品では医薬分業が進みMSの役割が拡大している
 ●一般用医薬品はドラッグストア増加と規制緩和で競争激化

医薬品卸では戦国時代さながらのメガ再編が起きている
 ●経営環境悪化のなかM&Aでの生き残りをめざす
 ●メディセオ、スズケン、アルフレッサ ―― 大手広域卸のM&A戦略
 ●バイタルネットグループと大同団結めざす東邦薬品

薬局・薬店もメガ再編で淘汰の時代に
 ●マツモトキヨシを筆頭に拡大路線進むドラッグストア
 ●ドラッグストア業界でもメガ再編が進行中
 ●ドラッグストアの調剤進出は薬剤師確保への深謀遠慮も

大衆薬販売規制緩和でコンビニが「クスリ屋」になる
 ●進む販売規制の緩和、ドン・キホーテもテレビ電話方式で参入
 ●日本でもコンビニが「クスリ屋」になる日はくるか



まえがき もくじ 本文より




[第1章 日本にもついに波及したM&A旋風]より



安定業種から優勝劣敗業種に一変した医薬品業界



●IT業界よりも熾烈、世界的な大再編相次ぐ医薬品業界●

 「医薬品業界」と聞いて、どんな業界をイメージするだろうか。「収益力が高い」「歴史の古い企業が多い」「規制は多いが、その分、新規参入も難しく経営が安定している」「給与が高い」 ―― ひと昔前まで、医薬品業界は間違いなくこうしたイメージを持たれていた。しかし、いまや欧米はもちろんのこと、日本国内でも、医薬品業界は「優勝劣敗」「弱肉強食」の大競争時代に突入している。

 たとえば、銀行・証券・保険などの金融業界もむかしは「安定」「規制で守られている」イメージが強かったが、銀行も証券も保険もグローバルスタンダードの荒波に飲み込まれ、あっという間に大競争時代に突入してしまった。経営体力の弱い企業は倒産・破綻し、あるいは外資系や異業種からの参入企業の傘下に組み込まれた。なんとか生き残った企業も、長年慣れ親しんだ社名や伝統を捨ててでも同業他社とのM&A(買収・合併)で経営規模を拡大し、重複部門の効率化のために従業員や店舗設備をリストラせざるをえなかった。

 2005年の日本では、ITベンチャー企業・ライブドアによるニッポン放送(そしてフジテレビなどフジサンケイグループ全体)に対する「敵対的」買収合戦が話題を集めた。これは、IT・メディア分野という最先端ビジネスの世界だからこそ起こりえた事件のように思われがちだが、実は日本における本格的な敵対的買収は医薬品業界のほうが早い。

 2000年1月に、独医薬品大手であるベーリンガーインゲルハイムは、日本の大衆薬大手であるエスエス製薬に対して突然、何の予告もなく、全国紙紙面にTOB(株式公開買い付け。企業買収の一手法)公告を出すという「敵対的」買収に踏み切った。しかも、同社は最終的には50%を超えるエスエス製薬の発行済み株式を取得し、まんまと子会社化に成功している。

 こうした敵対的買収の手法をも活用した医薬品業界大再編は、日本よりもまず欧米で先行した。

 欧米の医薬品業界では1990年代なかば以降、グラクソウエルカム(英グラクソと英ウエルカム)、ノバルティス(スイスのチバガイギーと同サンド)などの大型M&Aが散発的に起きていた。2000年代に入ると、米ファイザーと米ワーナー・ランバート(新社名ファイザー)、英グラクソウエルカムと英スミスクライン・ビーチャム(同グラクソ・スミスクライン)、米ファルマシア・アップジョンと米モンサント(同ファルマシア)などのM&Aにより、医薬品売上高が軽く100億ドル(1兆円強)を超える“テンビリオン企業”の誕生が相次いだ。この大再編の流れはとどまることなく、その後も、ファイザーとファルマシアの合併、仏サノフィ・サンテラボによる仏・独アベンティス買収など、M&Aで誕生した企業がさらにM&Aを繰り返すかたちで、いまや世界トップクラスの医薬品メーカーの年商規模は、100億ドルどころか300億〜400億ドルを超えている。
 このうち、ファイザーによるワーナー・ランバートの買収と、サノフィ・サンテラボによるアベンティスの買収は、真っ向からの敵対的買収のかたちが取られた。サノフィ・サンテラボのケースでは、買収する側(サノフィ・サンテラボ)のほうが買収される側(アベンティス)よりも売上規模が半分以下と小さく、ライブドアも顔負けの「小が大を飲む」M&A劇が展開されている。



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●日本でも大手メーカーを巻き込んだ大再編が本格化●

 日本の医薬品業界でも、2000年以降ようやく大型再編が本格化しつつある。ベーリンガーインゲルハイムによるエスエス製薬の買収はその先駈けといえるが、日本勢同士による最初の大きな例としては、2000年11月に発表された、製薬大手ウェルファイドと三菱化学の医薬品子会社である三菱東京製薬の合併があげられる。

 ウェルファイドは旧・吉富製薬を母体に、薬害エイズ事件で経営危機に陥った旧ミドリ十字を救済合併して1998年4月に発足。一方、三菱東京製薬も、三菱化学の医薬品事業部門と旧・東京田辺製薬が1999年10月に経営統合を果たして発足した合併会社だ。これら吉富・ミドリ十字・東京田辺・三菱化学(医薬品部門)という、かつては準大手以下だった4社が合流して2001年10月に発足した新会社「三菱ウェルファーマ」は、売上高が3000億円規模となり、国内製薬業界では武田薬品工業、三共、山之内製薬に次ぐ4〜7位クラスに一時浮上した。

 三菱ウェルファーマが準大手同士の合併で大手が誕生した例であったのに対し、大手同士の合併も本格化してきた。

 2003年には医薬品売上高で国内4位の山之内製薬と同5位の藤沢薬品工業が、一般用医薬品(医師の処方箋なしで薬局・薬店で購入できる医薬品。大衆薬ともいう)部門の統合で合意。続けて2004年には、本業の医療用医薬品(処方箋が必要、処方薬ともいう)を中心とした本体同士も合併することを決め、2005年4月に医薬品売上高で国内業界2位の「アステラス製薬」が発足した。

 ところが、アステラス製薬発足を控えた2005年2月には、今度は業界3位の三共と同6位の第一製薬が合併することを発表。2005年10月には統合会社「第一三共」が誕生し、アステラス製薬とほぼ同じ業界2位クラスに浮上することを明らかにした。2004年度の医薬品売上高(第一三共とアステラス製薬は合算ベース)でいうと、国内トップの武田薬品工業9705億円に対して、アステラス製薬が8418億円、第一三共が7659億円となり、8000億〜9000億円前後のビッグスリーが日本市場で並び立つことになる。

 外資系による国内製薬会社のM&Aも活発化しつつある。前記のベーリンガーインゲルハイムによるエスエス製薬のTOBがその典型例といえる。さらに衝撃的だったのが、2001年12月に発表された、スイスの製薬大手ロシュによる中外製薬の買収だ。中外製薬は国内市場では長らく大手の下位グループに位置づけられており、外資によるM&Aがついに大手の一角にまで食い込んだからだ。ロシュは中外製薬を子会社化し、日本法人の日本ロシュと2002年10月に合併させた(存続会社は中外製薬で社名も「中外製薬」を継承)。この結果、合併新会社は売上高が3000億円規模となり、やはり国内5〜7位クラスに浮上している。

 なお、この他にも、2005年10月にはともに国内準大手クラスの住友製薬と大日本製薬が合併を予定しており、新しく発足する「大日本住友製薬」は、武田薬品工業、アステラス製薬、第一三共、エーザイに次ぐ、国内業界5位となる。また、大衆薬首位で大手の一角に数えられることもある大正製薬も、2001年に発表した医療用医薬品大手・田辺製薬との経営統合はその直後に破談に終わったものの、2002年には医療用医薬品中堅の富山化学工業への資本参加(出資比率20%)にこぎつけ、医療用医薬品メーカーとしても大手をめざす方針を明らかにした。

 日本の医薬品業界は、かつて武田薬品工業以下、医療用医薬品売上規模9位までを「大手9社」といい、そこに大衆薬大手の大正製薬を加えて「大手10社」ともいわれたが、最近の業界再編の急進展に伴い、こうした枠組みは、完全に崩れてしまった。



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●IT革命に匹敵するゲノム革命が業界再編を促す●

 こうした大再編が、まず欧米で、そして日本にもついに波及したことには、理由がある。それは、新薬の研究開発費が高騰し続けていることと、その研究開発費をいままでのように自国市場だけで回収するのは困難なため、海外市場でも販売網を構築する必要が出てきたことだ。

 そのためにはM&Aで経営規模を拡大して経営効率化をはかり、浮いた分の経営資源を研究開発費と海外販売網の構築費用にあてるのが、もっとも手っ取り早い。M&Aの相手先が、自社が苦手とする研究領域で新薬候補を持っていたり、あるいは自社がまだ進出していない外国での販売網を持っていれば、合併効果は一段と大きくなる。
 2000年前後以降、医薬品研究開発の最前線では、さらに業界再編を加速させかねない、大きな技術革新のうねりが生まれている。1990年代後半にエレクトロニクス業界や情報通信業界を巻き込んだ「IT革命」に匹敵するといってもいい。それが「ゲノム革命」だ。
 ゲノムとは「生物ごとに固有な全遺伝情報」を指す。1990年以来、アメリカ・ヨーロッパ・日本を中心とした国際プロジェクトとして進められてきたヒトゲノム(人間の全遺伝情報)の解読が2000年6月に、ついにほぼ終了したと発表された。

 これまで、新薬の多くは、手当たり次第に少しずつ分子構造を変えて化合物をつくりだし、試験管の中や動物実験などで効き目をたしかめるという、場当たり的な方法で「発見」されていた。ある新薬候補が最終的に市場に出る確率は6000分の1とも1万分の1ともいわれる。ところが、ガンや糖尿病などほとんどの病気は、実は遺伝子のなんらかの作用や異常などによって引き起こされることがわかってきた。ならば、その遺伝子の作用メカニズムを先に解明したほうが、はじめから理論的に新薬を設計することができることになる。

 このゲノム情報を使った新薬開発は、「ゲノム創薬」といわれている。ゲノム創薬では、有効性がなかったり副作用がある新薬候補をある程度理論的に排除しうるため、将来は新薬開発コストを引き下げる可能性がある。医薬品の有効性や副作用は、人種差や個人個人の体質によっても大きく変わりうるため、あらかじめ患者の遺伝子を解析しておいて、もっとも副作用が少なく有効性が高い医薬品を投与するといった「テーラーメード医療」もゲノム情報の活用によって将来は可能になりそうだ。

 ただし、ゲノム創薬には、従来から製薬会社に在籍している医学・化学・薬学系の研究者だけでなく、ITやナノテクノロジー(微小加工技術)などの幅広いスタッフが必要となるため、ベンチャー企業へのアウトソース(外注)なども含め、当面はむしろコストを跳ね上がらせる可能性が高い。

 かつて、世界市場で通用する医薬品を開発するには、1製品あたり1億ドルの開発費がかかるといわれたが、いまや医薬品メーカーの力だけで新薬を開発することは難しくなっており、各社ともバイオベンチャー企業との提携に関する費用だけでも、研究開発委託や出資などのかたちで年間数億ドル以上を投じているケースがざらにある。1製品あたりの開発費も現在では3億〜8億ドル程度まで拡大していると見られ、このゲノム革命が欧米や日本での医薬品業界再編を促している面も大きい。



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まえがき もくじ 本文より




大滝俊一 (おおたき・しゅんいち)
1963年、新潟県生まれ。主に長野で育つ。
慶應義塾大学法学部卒業後、東洋経済新報社に入社。『オール投資』『会社四季報』『週刊東洋経済』編集部などを経て、2005年からは同社・企業情報部で陸運・海運・航空業界を担当。医薬品業界は主に1998年〜2000年に担当した。
著書に『ゲノムビジネス会社情報』(東洋経済新報社、共著)がある。




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